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2008年1月29日 (火)

南アロケ報告②

前回の取材報告では、最初から問題点と答えが見えていたかのように書いていたが、実際はかなり悩んだ。

今回取材してきたゴスペルグープのメンバー。彼らには仕事が無い。
お金が無いと云いながら親や家族に面倒を見てもらいながら「ゴスペル」という歌を歌っている。20代の彼らが仕事をせずに歌を歌っている事自体に共感を持てなかった。そして、テレビカメラの前だからなのか彼らは、よい服を着ていたし、よい靴を履いているように見えた。そんな彼らが「愛」を謳い、自由を叫び、政府を批判し人生を語る。

私には彼らの言葉が薄っぺらな物にしか聞こえなかった。

ソエトには新しいショッピングモールが幾つか有り、病院も立替工事の最中。ソエトのすぐ側には、2010年に南アで行なわれるワールドカップのメインスタジアムも建設中であった。この街は、経済的に困窮しているようには思えなかった。確かに、裸足で歩く子供たちも多くいた。信号で停まると物売りが車に近づいてくる場所も会った。

南アに入り最初にヨハネスブルグのダウンタウンにて、ストリートチルドレンを取材した。
日曜の朝ということで街は、閑散としていたが、市場の近くでは、開店の準備のために大勢の人々がいて、そこだけが活気を持っていた。ファストフードショップの角を曲がると汚れた布が建物の壁の下に並んでいた。その横には火を焚いて暖をとっている若者の姿がある。ストリートチルドレン。そのぼろ布を身にまとい、彼らは眠っていた。彼らを取材しようとカメラを構えると、カメラの前に集まってきたのは若い女性の3人組みだった。
一人は目の下に隈を持った小太りの女25歳。ドレッドヘアーを伸ばしたまだあどけない顔の19歳。
左目から頬にかけてまだ抜糸もしていない傷を持つ21歳の女。
彼女達はカメラに訴えかけてきた。「私達は中国人のために仕事をしたい。そして、いっぱい稼いでみせる」と。我々のことを中国人だと勘違いをし、我々に売春のオーナーになって欲しいといわんばかりだ。彼女達売春婦は現在ナイジェリア人に管理され、安い賃金で売春を強要されているアパートに無料で住まわせてもらう代わりに、売春で得た金の数十パーセントを彼らに払わなければならなかった。彼女達にいくつかのインタビューをした。確かに彼女達は危険に身をさらし過酷な生活を送っている。しかし、その原因を、政府や、世の中のせいにしたときに私の心はなえてくる。
どこの国でも、不良と呼ばれる若者達は、自分達の悪事を棚に上げて大人が悪いというのは常だからだ。もっと、深いインタビューをしなければ、単なる甘えにしか聞こえてこないのである。

私は、批判的に彼らを見ていたのである。

取材とはそういうものだ。自分達が納得できるまで取材対象者に向かい合いインタビューを重ねる。
こちらが用意する言葉をぶつけ、相手の言葉を待つ。禅問答のような時間を繰り返し、互いの距離を縮めていく作業。

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2008年1月 9日 (水)

南アロケ報告①

昨年末に行なった南アフリカでの取材の報告をしたいと考えていたが文章にする事はやはり難しい作業だと改めて実感。乱文・乱筆ではありますがお付き合いください。

今回、取材を行なった町の名はSowet(ソエト)ヨハネスブルグから西南西に約30kmの距離にある。アパルトヘイト時代には、黒人の居留区であった場所だ。アパルトヘイト末期の1976年6月16日に起こったソエト蜂起。それ以降、黒人達の自由を求める運動が激しさを増していく。前南アの首相であったマンデラ氏もこの町の出身だ。やがて、1994年にアパルトヘイトが撤廃され、当時、奴隷としての扱いであった黒人達は自分達の手で自由を勝ち取ったのだ。それから13年。彼らは本当に自由を手に入れることが出来たのだろうか?

現在もなお、この街は貧困に喘いでいる。失業者は街に溢れ、AIDSなどの病気の蔓延、そして新たな差別。未来に対して無気力な大人たち。その元で犠牲になった子供たち。両親との死別、離婚などにより、親元で暮らせなくなった子供たちは街に溢れ、生きるために、ゴミをあさり、性を売り、大人から物品を奪う。戦いによって勝ち得る事ができた『自由』とは何であったのだろうか。

アフリカンカルチャーという言葉がある。
「隣人を愛する事・互いを尊敬しあう事・平和である事・分かち合う事・一つの大きな家族である事」部族によって多少の違いがあるであろうが彼らが守ってきた道徳観である。しかし今、それを子供たちに教える大人がいない。さらに自由を履き違えた子供たちは、自分の権利を振りかざし、人のいう事には耳を貸さない。素晴らしい文化を持ちながら、退廃していく現状を目の当たりにする。

そんな中、若者達が集まってゴスペルを歌うグループを取材してきた。彼らの音楽とは、ズールー語という原住部族の言葉を使ったメッセージ性の強い歌詞を伝統的な音使いで歌い上げるものだった。歌詞の内容もグループのメンバー自らの体験や思いから発生したものであり、まさしく彼らの叫び声だった。

私にとって、今回の取材にはもう一つ大きな意味がある。
それは、このプロジェクトが、仲間と立ち上げたものだという事。2005年の暮れに酒を呑みながら話をし、翌年3~4月には国内でのリサーチ作業をおこなった。元来自主制作ドキュメンタリー映画製作を目指していたがスポンサーを見つける事が出来ず頓挫。友人のTカメラマンはそんな中、一昨年9月にここ、南アフリカで自費取材を敢行し、再度、構想を練り、今回の番組契約まで漕ぎ着けたのだ。私は後半、あまり手助けも出来ずに彼に甘えてばかりであった。そんな私をもう一度仲間に引き入れてくれた彼に対して、最大限の力になりたいと考えていた。今回ばかりは、一カメラマンとしての参加だけではなく、制作スタッフとしてより深く関わりたかったのである。

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