2008年9月30日 (火)

上海ロケ 後記

空港を降り街までをリニアモーターカーで移動する。
最高時速431km/hで30kmの道のりをわずか7分。この短い距離をものすごいスピードで移動したいと考えるところに、ここ上海人の気質がうかがえる。道は車、自転車、バイク人に満ち溢れ、無秩序にそれぞれが、それぞれのスピードで先を競い合って流れて行く。そして当たり前のようにクラクションや、自転車のベルの騒音に包まれている。せっかちで、自己主張の強いと言われる上海人。納得である。
 街の中心部では新しい高層ビルディングが立ち並ぶ。建設中のビルも多く目に付く。そして古い住居群を壊し土地を広げている。まさに開発の最中だ。経済の加速が街を瞬時に一変させていく。ビル街に取り囲まれた古いアパートからの眺めはそのまま経済格差を見て取ることができる。

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上海に着いて最初の一週間は、虹口区にあるホテルに宿泊した。ホテルの前の道は路上市場となっており、野菜、果物、蟹、といったいろいろな食材が所狭しと並べられていた。屋台では、揚げパンや、焼き鳥のようなもの、饅頭も売られている。朝早くから夕方遅くまで人通りが途絶えることもなく、窓を開ければ眼下の喧騒がホテルの部屋まで飛び込んでくる。
 この、虹口区は、まだ開発があまり進んでいない下町。近くには大きなサッカー場。その隣には魯迅の墓所と記念館を併設した大きな公園もある。古くに日本租界もここにあった。

このホテルを基点に上海を撮影してみて回ると自分の位置が下町目線になる。今年の夏にオープンした世界一の高さを誇る上海ヒルズにも登ってみた。そこからの眺めもすばらしかったが、大きなさら地の中に、取り残された家がいくつか見えた。街が移り変わる物悲しさも同時に沸いてくる。

夕食を摂りに町を徘徊すると、中国ならではの交通ルールに戸惑う。車は右側通行で、右折に限り常時通行可能ということなのだが、その右折車のスピードがものすごく速いのだ。信号が変わり迂闊に道に出てしまえば、命を危険にさらすほど。横断歩道を渡っている人々を遠くからクラクションで威嚇しながら次々と車列が通り過ぎていく。人はその切れ間を縫うように横断しなければならない。車を運転するものたちは、車を持つことが出来た人間の特権のように当たり前のように乱暴な運転をする。そして道を歩く人々に対してやさしさのかけらもまるで感じられない。

自由経済、自由社会というものは力が強いものだけが金に物を言わせ特権を持つ世界なのか。世界進出を成功させた大きな企業が世界中に同じ街を作り上げようとしているかのようだ。マクドナルド、KFC、などのファストフードショップがいくつも点在し、24時間の日本のコンビにも夜遅くまでこうこうと営業している。高層ビル、高級ブランド、高級車、そういったものを購買するだけの力をつけた者たちが誇らしげに住む新しい高級住宅街。そして、われわれが泊まるホテルの周りのように、一束何元かの野菜を売って暮らす人々。この町の底辺から這い上がるには相当の努力が必要になることが容易に想像できる。

しかし、1週間後。上海に住む日本人の方と何日か過ごすうちに、自分の立ち位置が変化していることに気づく。一般的な現地の人々よりも裕福な日本人と食事を重ねるうちに、貧しい人々の暮らす町から遠ざかってしまった。経済発展している上海の表の世界に圧倒されながらそれを受け入れその暮らしやすさにすぐに馴染んでしまう。自分自身の変わり身の早さに驚くばかりだ。一般的に月収が5000元(日本円で75000円)といわれているが、実際には稼いでいる人はこの数百倍、貧しい人はこの半分以下というのが実情なのだろう。

行き届いたサービスなど最初から期待していなかったのだが、ちゃんとしたサービスを受けると、もと居た場所で過ごすことが苦痛になる。日本食レストランで食事を摂る回数が増えると、メニューもスタッフも日本語でやり取りできるものだから楽でよい。しかし、ローカルのレストランに入る回数が極端に減ってきたし、その中でも、小さなレストランは敬遠するようになってしまった。旅の楽しさは本来ローカルの中にある。うまくいったり、失敗したり、発見したりといった経験が旅を豊かにしてくれるのだが、それをどこかで閉ざしてしまった。

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2008年3月14日 (金)

南アフリカプロジェクト

昨年末に取材を行なった番組がいよいよ放送されます。

是非、御覧ください。

3月16日午後10:10~11:00 NHK衛星第一(BS-1)
BSドキュメンタリー
心の叫びを歌に ~南アフリカ 若者たちの挑戦~
http://www.nhk.or.jp/bs/bsdoc/

南アロケ報告③

南ア滞在中には、葬儀を取材する事ができた。亡くなられたのは20代後半の女性。多くの弔問客が亡くなられた女性の家に集まってくる。同年代の若い弔問客も目立つ。牧師の言葉に続き、会場全体にゴスペルが響く。その歌声は青く晴れ渡った空へ。
 家でのセレモニーが終わり亡骸と家族、弔問客が墓地へ向かう。長い車列が進む。車列はハザードランプをつけながら、ゆっくりと信号などで止まることなく進んでいく。他の車はその車列が通過するのをただ待っているのだ。
 墓地に着くとすでに多くの人々の埋葬が行なわれていた。埋葬の儀式にも歌は欠かせない。ドラムの音も鳴り響いている。彼女の埋葬される墓地はギネスブックにも載る、世界最大の面積を持つ。しかし、すでに埋める場所が無い事を現地のドライバーから聞いた。棺を入れる穴は深さ3m程度で、60cmの間隔でいくつも掘られている。彼女の友人を埋葬するときには横並びで6件の儀式が同時に行なわれていた。墓地全体を見渡すと参列の塊があちこちにある。その殆どの死因はエイズだという。毎週末にはたくさんの葬儀が行なわれているのだという。たった半日の間に、これだけの人々が埋葬されているという現実。
自然災害や、戦争の犠牲者ではない。HIV/AIDSによる死。


ソエトに向かう途中、右手にゴミを収集して出来た山がある。その上をゴミ収集車がゴミを吐き出しながらゆっくりと進む。吐き出されたゴミを追うように多くの人がむらがる様子が車の窓から見えた。
 道端に車を止め撮影を開始する。やがて、その山に向かう道を見つけ撮影をしながら徐々に近ずく。山の高さは、40~50m。その山のすぐ下、稜線に群がる人々の容姿が肉眼でわかるポジションに来て初めてワイドレンズでで青空と人影を捕らえる。一人の男が大きな声で叫び、向こうへ行けと身振りをしている。カメラでその男を捕らえる。次の瞬間。空に、黒い点が見えた。石だ。しかし、距離がある。届くまいと思いカメラをまわし続ける。
やがて、そこらにいた人々も我々のカメラに気づき次々と石を投げ始めた。中には、斜面を降りてくる者もいる。カメラに向かって投げられた石は精度を上げ我々の頭をとおりこしていった。やばい。すでに斜面を降りてくる男達も10人ぐらいに膨らんでいる。
逃げた。走って逃げた。
取材開始から2週間。世界でもっとも危険といわれる都市ヨハネスブルグの郊外。ソエト。最初の頃に持っていた危機感が薄れていたのか?スクウォーターキャンプと呼ばれる貧民街での取材でも多くの人々が我々の取材を理解し、饒舌に語ってくれていたために危機感が薄れていたのか・・・

 

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2008年1月29日 (火)

南アロケ報告②

前回の取材報告では、最初から問題点と答えが見えていたかのように書いていたが、実際はかなり悩んだ。

今回取材してきたゴスペルグープのメンバー。彼らには仕事が無い。
お金が無いと云いながら親や家族に面倒を見てもらいながら「ゴスペル」という歌を歌っている。20代の彼らが仕事をせずに歌を歌っている事自体に共感を持てなかった。そして、テレビカメラの前だからなのか彼らは、よい服を着ていたし、よい靴を履いているように見えた。そんな彼らが「愛」を謳い、自由を叫び、政府を批判し人生を語る。

私には彼らの言葉が薄っぺらな物にしか聞こえなかった。

ソエトには新しいショッピングモールが幾つか有り、病院も立替工事の最中。ソエトのすぐ側には、2010年に南アで行なわれるワールドカップのメインスタジアムも建設中であった。この街は、経済的に困窮しているようには思えなかった。確かに、裸足で歩く子供たちも多くいた。信号で停まると物売りが車に近づいてくる場所も会った。

南アに入り最初にヨハネスブルグのダウンタウンにて、ストリートチルドレンを取材した。
日曜の朝ということで街は、閑散としていたが、市場の近くでは、開店の準備のために大勢の人々がいて、そこだけが活気を持っていた。ファストフードショップの角を曲がると汚れた布が建物の壁の下に並んでいた。その横には火を焚いて暖をとっている若者の姿がある。ストリートチルドレン。そのぼろ布を身にまとい、彼らは眠っていた。彼らを取材しようとカメラを構えると、カメラの前に集まってきたのは若い女性の3人組みだった。
一人は目の下に隈を持った小太りの女25歳。ドレッドヘアーを伸ばしたまだあどけない顔の19歳。
左目から頬にかけてまだ抜糸もしていない傷を持つ21歳の女。
彼女達はカメラに訴えかけてきた。「私達は中国人のために仕事をしたい。そして、いっぱい稼いでみせる」と。我々のことを中国人だと勘違いをし、我々に売春のオーナーになって欲しいといわんばかりだ。彼女達売春婦は現在ナイジェリア人に管理され、安い賃金で売春を強要されているアパートに無料で住まわせてもらう代わりに、売春で得た金の数十パーセントを彼らに払わなければならなかった。彼女達にいくつかのインタビューをした。確かに彼女達は危険に身をさらし過酷な生活を送っている。しかし、その原因を、政府や、世の中のせいにしたときに私の心はなえてくる。
どこの国でも、不良と呼ばれる若者達は、自分達の悪事を棚に上げて大人が悪いというのは常だからだ。もっと、深いインタビューをしなければ、単なる甘えにしか聞こえてこないのである。

私は、批判的に彼らを見ていたのである。

取材とはそういうものだ。自分達が納得できるまで取材対象者に向かい合いインタビューを重ねる。
こちらが用意する言葉をぶつけ、相手の言葉を待つ。禅問答のような時間を繰り返し、互いの距離を縮めていく作業。

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2008年1月 9日 (水)

南アロケ報告①

昨年末に行なった南アフリカでの取材の報告をしたいと考えていたが文章にする事はやはり難しい作業だと改めて実感。乱文・乱筆ではありますがお付き合いください。

今回、取材を行なった町の名はSowet(ソエト)ヨハネスブルグから西南西に約30kmの距離にある。アパルトヘイト時代には、黒人の居留区であった場所だ。アパルトヘイト末期の1976年6月16日に起こったソエト蜂起。それ以降、黒人達の自由を求める運動が激しさを増していく。前南アの首相であったマンデラ氏もこの町の出身だ。やがて、1994年にアパルトヘイトが撤廃され、当時、奴隷としての扱いであった黒人達は自分達の手で自由を勝ち取ったのだ。それから13年。彼らは本当に自由を手に入れることが出来たのだろうか?

現在もなお、この街は貧困に喘いでいる。失業者は街に溢れ、AIDSなどの病気の蔓延、そして新たな差別。未来に対して無気力な大人たち。その元で犠牲になった子供たち。両親との死別、離婚などにより、親元で暮らせなくなった子供たちは街に溢れ、生きるために、ゴミをあさり、性を売り、大人から物品を奪う。戦いによって勝ち得る事ができた『自由』とは何であったのだろうか。

アフリカンカルチャーという言葉がある。
「隣人を愛する事・互いを尊敬しあう事・平和である事・分かち合う事・一つの大きな家族である事」部族によって多少の違いがあるであろうが彼らが守ってきた道徳観である。しかし今、それを子供たちに教える大人がいない。さらに自由を履き違えた子供たちは、自分の権利を振りかざし、人のいう事には耳を貸さない。素晴らしい文化を持ちながら、退廃していく現状を目の当たりにする。

そんな中、若者達が集まってゴスペルを歌うグループを取材してきた。彼らの音楽とは、ズールー語という原住部族の言葉を使ったメッセージ性の強い歌詞を伝統的な音使いで歌い上げるものだった。歌詞の内容もグループのメンバー自らの体験や思いから発生したものであり、まさしく彼らの叫び声だった。

私にとって、今回の取材にはもう一つ大きな意味がある。
それは、このプロジェクトが、仲間と立ち上げたものだという事。2005年の暮れに酒を呑みながら話をし、翌年3~4月には国内でのリサーチ作業をおこなった。元来自主制作ドキュメンタリー映画製作を目指していたがスポンサーを見つける事が出来ず頓挫。友人のTカメラマンはそんな中、一昨年9月にここ、南アフリカで自費取材を敢行し、再度、構想を練り、今回の番組契約まで漕ぎ着けたのだ。私は後半、あまり手助けも出来ずに彼に甘えてばかりであった。そんな私をもう一度仲間に引き入れてくれた彼に対して、最大限の力になりたいと考えていた。今回ばかりは、一カメラマンとしての参加だけではなく、制作スタッフとしてより深く関わりたかったのである。

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2007年12月30日 (日)

マグロに賭けた男たち6

昨夜無事に放送を終了しました。
今回、事前に日記などは公開しませんでしたが、
私もしっかり参加させていただきました。

毎年海の変化に伴い、マグロの漁も変わる。
今年の大間は、海水温が例年よりも高く、サンマが長い期間この海峡にいた。これほどのサンマがいたのは10年振りだと言う。そして、マグロが跳ねる。誰にでもチャンスがある。中には日に5本も揚げる者もいた。そして、やはり釣れない漁師もいるのだ。「生半可な気持ちじゃ、ここでの漁は出来ない」息子に語る漁師。

この海の男たちの生き様は都会に住む我々にはとても眩しく、真っ直ぐだ。そんな姿をこの6年追い続けることが出来た。

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2007年12月 1日 (土)

クランクイン間近

2年越しのプロジェクタが始まる。
一昨年の暮れに友人と夢を語った。カメラマンである我々技術屋の作品における地位を向上させるためにはやはり、自分たちの力で作品を作り出さなければならないことを。

そして、今、その一歩を目前にしている。

闘いであり、挑戦である。

そして、新しい流れを創り出すのだ。

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2007年9月 7日 (金)

山岳映画プロジェクト 撮了

未だ、撮影者が撮影できなかった場所での撮影。
垂直に400m以上続く断崖絶壁。
その上部にあるオーバーハングでの撮影。
この現場に通勤するだけで一苦労であった。

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最終日にはヘリコプターからの空撮と岩壁の中からの2ポジションからの同時撮影が行われた。
空撮ではそこに人間が存在出来ることが不思議に思えるほどの映像が撮れていると確信する。

初めての劇場公開映画に撮影スタッフとして参加させていただき戸惑う部分も非常に多かった。通常のTV番組と違い大型スクリーンでの公開という基本的な部分を感覚的に捉えることがとても難しく苦労した。周りのスタッフに多少の迷惑を掛けながら、何とか無事に撮影を終了できた。撮了にあたり、多くの方々にたくさんの感謝をしなければならない。

Nec_0007 今回のプロジェクトに最初にお声を掛けていただいた 撮影監督の小林氏には、
貴重なアドバイスと多くの気遣いをいただいた。私自身、山で、しかも垂直な岩壁での撮影はリスクが高いことから気持ちの中では避けていた現場であった。しかし、原作を読むにつれ挑戦することの大切さを、今一度、思い知らされ撮影に挑む力をいただいた。

 しかし、当然ながら私一人の力では当然その現場に近づくことが出来ない。
今回山岳ガイドとしてサポートしてくださった勝野ガイド遠藤ガイド、小林ガイド、福田ガイド、ほか多くの山岳関係者の皆様のお力添えが必要不可欠
であったことは云うまでもない。

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来夏公開の予定のこの映画は、間違いなく日本で一番厳しい所で撮影された
唯一無二の映画作品になるであろう。

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2007年8月13日 (月)

富士登山

三年越しの息子との約束を果たす。

明け方3時半頃には、東の空に三日月が浮かんでいた。
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9合目を超えてから息子の足もペースダウン。
徹夜で登るにはまだ体力不足。
空気も薄い。5分ごとに休みを求めてくる。
御来光の時間が迫ってきている。



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何とか頂上でご来光を拝むことができました。Photo_8
浅間神社の前でお決まりの記念写真を撮った後、
目指すは日本最高峰の剣ヶ峰。

向かう途中には素晴らしい影富士も拝むことができた。
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Photo_11  三等三角点に足を置き記念写真。

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2007年8月 3日 (金)

手強し!谷川 衝立岩

Photo 遂に衝立岩、正面壁にある「洞穴ハング」に辿り着くことが出来た。通常のクライミングとは違い撮影機材、カメラマンである私を確保するためのロープ、撮影ポジションのための支点を作る装備などが、個人装備の上にのしかかる。中央陵から、衝立の頭を経由し、洞穴ハングへ懸垂下降をする。
 撮影カット数もあるために、移動時間の短縮を図る。
 今回撮影に協力して頂いているのはAGS-J(日本アルパインガイド協会)に所属している国内屈指のガイドさんたち。
 彼らのようなプロフェッショナルが居なければ到底撮影できない難所であった。

それでも尚、垂壁での撮影は、ちょっとしたポジションの移動も大変時間のかかる作業となる。予定していたカットを撮るために、ポジションと撮影段取りを何度も打ち合わせていたが、全てのカットをとりきることは出来なかった。

おりしも台風5号が近づいてきていたために翌日以降の撮影は天候・視界不良の為に今回は一時敗退。天候回復次第、再度撮影になる。

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2007年7月 8日 (日)

夏の仕事

7月2日にクランクインの予定が
雨の為に先送りになっていた。

梅雨時期の山岳撮影は思うようには行かない。

「7月4日午前6時谷川岳出合駐車場集合。」の連絡。

前日23時頃から移動開始。
家から現場までは 車で3時間の移動。
早めに動いて集合場所で 仮眠を取ることを選択。
当日の予報は雨。
案の定、移動している夜中も雨が激しくふっていた。

衝立岩の上部にある「洞穴ハング」が今回の作品の舞台になる。
この日の予定はそこへのロケハン。
過去何度かスケジュールを組むが天候不良の為に
消化していない場所なのだ
今回もまた、雨の為に行くことが出来ず、
翌日の撮影のためのルート整備に当てられた。

Nec_0001 雨の中のルート整備

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テールリッジにも新しいフィックスロープを張る。













7月5日
 クランクイン当日。午前2時30分宿発。
この日も天候は雨。
午前3時。それでも現場では準備が進められていく。
午前8時ごろになってようやく雨が上がり、
やっとクランクインすることが出来た。

7月6日
 撮影二日目。
テールリッジ下の雪渓には約30人の映画スタッフが入った。
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その後、人数を絞り、テールリッジ上部、中央稜基部まで撮影。 二日間の予定を無事に消化することが出来た。

全ての作業を終えて22時ごろ宿を出るが、帰りの高速道路のサービスエリアで仮眠を取る。朝のラッシュまでには家に戻るつもりだたが、すっかり寝過ごし日が昇ってしまった。(^^ゞ

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2007年5月13日 (日)

懐かしの山 「谷川岳」

山での撮影を始めた最初の山

     「谷川岳 衝立岩」

山のことなど全く知らないカメラマンなりたての若造だった私は、日々如何に自分を表現していくか悩み、焦っていた。そんな時に声がかかった仕事。
この山にまつわる事故と、その救出、搬送に長年係わってきた警察官のドキュメントであった。テールリッジ上部・中央陵基部までβカムを持って登った。

  魔の山谷川岳。

『昭和6年(1931年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2005年までに781名もの登山者が遭難死という飛びぬけた日本のみならず、世界のワースト記録を保持している。ちなみにエベレストのそれは178人である。』
~~出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%B2%B3~~     

Dscn1137_2  雲ひとつ無いあおぞらの中にそびえたつ衝立岩。
集合時間よりも早めについたので、少し散策。落葉樹の枝先には真新しい緑がリボンのように無数にかがやいていた。以前取材した場所を当時を思い出しながら歩く。
 辛く苦しいこともあったはずだが、楽しかったことしか思い出せない。時間とはそんな物かと苦笑い。

 雪渓をつめてテールリッジに取り付く。
少しばかりペースが早い。息が切れる。まぁ、日ごろの不摂生もあるのだが。予定通りに目的地に到着。ルート、アングルを確認。下山。

今年の夏の大きなプロジェクトに向けての第一歩である。
私にとっても大きな挑戦になるであろう。
 

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2007年3月12日 (月)

イギリスでのロケを終えて。

今回約一ヶ月の英国での取材を終えてきた。
生きている事の大切さを問う番組取材しながら一つ一つの事象を自分の身に置き換え、咀嚼し答えを捜す。
 カメラの前の人々の答えはある意味において完全ではないかもしれないが、私自身がそれについて完全な答えを出す自信は無い。
取材で出会った人々には絶えず「生と死」に向かい合わなければならない状況にあった。私も彼らのその言葉を逃さないよう心して撮影を行ってきた。

「生きる」事について人々は迷い、苦しみ、悩む事が多くあるからこそ完全な答えを知りたがるのかもしれない。
 人類がこの世に生を受け、文明を持ち「知」を知ってからの命題であったのだろう。
ただ一つ。逆説的な言い方をするならば死を考える時、死ぬためにはまず、生きなければならない。これは決して忘れてはいけない事実のはずだ。どのようにそこまでを生きるかが人生であり、その人それぞれの価値が問われるものであると信じたい。

前向きに生きるということを考えた時、「死」は決してネガティブなものではなく、生きた後に必ず訪れるものであるとも考えられる。
ならば、恐れずに生きて行きたいと思う。

170207_1040 イギリスでの宿泊先は、海沿いのホテルだった。

ホテルの目の前にあるビーチには幾つかのベンチがあった。 その一つずつにストーリーが刻まれている。 このベンチはその人々の思いのこもった 寄付によるものだという。

170207_1041r

素敵な思い出を残したベンチ。

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2007年1月 5日 (金)

ドラマ 「マグロ」

9月末にお手伝いさせていただいた
テレビ朝日新春ドラマスペシャル「マグロ」
http://camriver.cocolog-nifty.com/rec/2006/10/post_1091.html

昨晩、楽しみに観ていたら・・・
おいらの名前も撮影応援ということで
しっかりエンドロールに流れていてビックリ(喜)

こんな大きな作品に参加できたことに感謝です。
ご紹介頂き、誘っていただいた方々、漁師の皆さん
本当にありがとうございました。

そして今晩、後編が放送されます。
ドキュメンタリーとはまた一味違う映像をお楽しみください。
http://www.tv-asahi.co.jp/maguro/

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2007年1月 1日 (月)

--謹賀新年--

あけましておめでとうございます。

さて、いよいよ本日18:00~新春3時間スペシャル
「マグロに賭けた男たち~極寒の死闘~新春大勝負」
がついに放送!!

ということでかなりマニアックなリンクを紹介します。

大間有志「あおぞら組」HP
http://www.oma-aozora.jp/
大間という港は本当に活気がありますよ。
町おこしのためのゲリラ活動の様子など。


函館海上保安部 気象情報
http://www.kaiho.mlit.go.jp/01kanku/hakodate/kisyou/index.htm
朝、沖に出る前にラジオや、携帯などからここの
風・波の情報を取りながら沖に出ます。
今の、大間の風は?覗いてみてください。


NTT東日本提供 「本州のてっぺん 大間崎」LIVEカメラ
http://view.aomori.isp.ntt-east.co.jp/oma.html
Webカメラによるライブの大間崎が見えます。
沖に見えるのは弁天島。

これであなたも大間ツウ!?

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2006年12月25日 (月)

放送日決まる!

Nec_0031 ついに、正月番組に大抜擢!
「マグロに賭けた男たち」
2007元日3時間スペシャル 夕方6時からテレビ朝日系列にて全国放送されます。是非ご覧ください。
年明けはこのほか、ドラマ「マグロ」も1月4日・5日二夜連続での放送。テレビ朝日の正月はマグロづくしだ。

私はというと、これから大間に出かけてきます。年内最後の大晦日まで取材をしてきます。それでは皆様良いお年を。。。

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